わたしの感情の不思議

数日前に、ボイジャーをもっと知りたい!の気持ちが強くて、カードを引いたら「運命の輪」のカードが出た。
「その気持ちを発信する」ことをチャレンジ(行動)する、と決めた。

それがきっかけで、新しい繋がりや、やりたかったことが、うんと早くできるような結果を手繰り寄せることが出来た。
願った未来が早く近づいたことで、とても嬉しくて、ワクワクして、すごくこれからが楽しみになった。

それから、新しく知り合った方たちの記事を楽しく読んだり、これからわたしはどんなことをして、どうなりたいのか、カードに聞いてみた。

出たカードは、なぜか「怒り」。

なんで?
楽しみで仕方ないのに?

でも、チクリと思い当たることもあった。

わたし、いま習ってる人たちみたいに出来るのかなあ?
しっかりされた知性ある大人の方たちばっかりで、そこにわたし一人で行って、輪に入れるんだろうか。
怖い、、、

そんな気持ちが、たしかに頭をかすめていた。

いや、そもそも、実のところ、習いたい気持ちは正直ある。
でも、なんのために?といつも思ってしまう。

頭に浮かんでいるのは、だれかのためにカードをしているわたし。

じぶんのためにカードをひきたいといいながら、頭はもう、じぶん以外にも使うことを想像していた。

だから、むずかしいことを理解して、出来るようになる必要があると。
そんな事、いまのわたしに出来るわけがないし、まず、なんのために習いたいのか、じぶんでもはっきりわかってないのに、頭は、習ってひとにもカードをしてあげる前提になってる。

矛盾とそこから生まれた不安。

その感情が、「怒り」という形になっているとカードをみて思い当たった。

大きく高い目標を掲げながら、その目標を達成することができない、苛立ちや、ジレンマ。
思い通りに出来ない葛藤。
そんな歯がゆさが、「怒り」という言葉に変わっていると思うこのカード。

この感情は、目標に進む道をトゲだらけにして、目的地までの足止めになってしまうから、見方、考え方、視点、それを見直してって言ってるカードだとも思う。

だから、この「怒り」のカードをみて、変にむずしく考えすぎて怖くなる必要はないんだなと思った。
それに、先々決めなくていいし、やりたいならやれば!って、じぶんで思えた。

さて、気づいたあとに、わたしがチャレンジ(行動)することは何にしようか考えて、「このカードから気づいた事をこうして文章にして記事にしよう」と思った。

文章にするとますます客観的に見れる。

そして、チャレンジ(行動)することでもらえるご褒美は?と聞いて出たカードは、

「0番愚かな子ども」

もう少し違う名前はなかったのかな?といつも思うけど。

無限の可能性。
はじまりの種。
新しいこと、興味あること、想像出来ないことが始まるよ!

いろんな意味を感じるけど、今のわたしへのメッセージとみるなら、そんな風に思う。

知らないひとに会うのが怖い。
輪に入るのが怖い。
出来るかわからない。
不安。

チクッと感じた痛みを、なかったことにしないで、なんで痛いかをちゃんとじぶんに聞けたのは、ボイジャーのおかげだ。

じぶんのことなのに、じぶんの感情って分からないものだな。

「楽しい」と「怖い」

両方同時に、同じものをみて感じるわたしの感情。

感情って、ほんと不思議で、厄介だ。




ボイジャータロットカードで、自分と向き合う、自分を知る*Lunasol

ボイジャータロットカードは、たくさんの閃きとメッセージをくれます。 ふだん隠している心の声や、見ないようにしている本当のじぶんが カードをとおして出てきます。 本当のじぶんと、カードを通して出会っていく。 そして、本当のじぶんでいられる。 ぶれない「自分軸」がたくさんできあがる。 ボイジャータロットを使った、本当のわたし探しがはじまりました。

0コメント

  • 1000 / 1000